某月某日
2011年気になっている漫画家、西島大介の「アトモスフィア」を読む。
漫画なのにハヤカワのJA枠。それだけで少しワクワクする。
主人公の女性は、恋人から別れを告げられる。他に好きな人ができたから、と。それはショックでもなんでもなかった。彼女はすでに世界を諦めていたから。ある日、彼女が家に帰ると、その元恋人が「自分」とセックスをしていた。ドッペルゲンガーとかダブルとかいう存在が少しずつ世界に溢れていた。それすら許容した彼女だったが、ある時突然もう1人の「自分」に殺されかかる。そこに現れ、「自分」を撲殺して救ってくれた謎の集団「守る会」。「自分」が死んでしまったことで社会的居場所を失った彼女は、「守る会」に所属することになるが、、、増えていく「もう1人」によって、ホンモノとニセモノの境が壊れ狂っていく世界を描くSF漫画。
俺が西島大介を知ったのは、ジュブナイルSF「トリポッド」のイラストを見たときだったと思う。「宇宙戦争」のこども向けアレンジ作品でありながら、侵略者によって壊れていく社会をこどもの目線から描いた本編に、その一見ポップなカットイラストレーション風の、でもどこかに脆さやグロテスクを隠したこどもたちのイラストが、本編とともに印象に残った。
その後何年かして、今年に入ってからか、自分が戦争もののコメディをやることになり(3月の大空襲イヴ)、戦争を題材にした作品を探している中、偶然古本屋で見つけたのが、「ディエンビエンフー」だった。最初の二巻だけ読んで、圧倒された。ベトナム戦争を舞台にした、甘酸っぱい青春映画みたいな、でも残酷な物語。それを児童書の挿絵みたいなタッチで書いてしまう。全然描きこまれてないのに、キャラクターが動く動く。それまで西島大介の漫画作品を読んでなかっただけに、イラストでない、漫画としての絵の動かし方とか物語の作り方の部分で、驚かされた。
で、「アトモスフィア」。作者は「エヴァンゲリオン」の影響を強くつけていると自身を分析しているが、確かにいわゆる「セカイ系」に属する作家かもしれない。特に「ディエンビエンフー」は「キミとボク」が強調されていることもあって(それが戦争の非日常さを際立たせるのだが)、それを強く感じた。が、「アトモスフィア」には「キミ」が存在しない。しても、すごく不定形な何かだ。だって、それはニセモノによって狂ったように増えていく「キミ」なのだから。「キミとボク」という定義さえ曖昧な、そんなセカイ系SF。中盤以降のどんどん世界がおかしくなっていく、ある種の高揚感。ラストに近づくに連れ壊れていく世界観。そして漫画にしかできないような力技的表現技法を使って、とんでもないイメージを描き出す。ラストシーンは「そりゃないよ!」と叫びたくなるかもしれないが、この自由な発想こそ、なんともSF的じゃあないか。
そしてこの作品、全二巻なのさ。そこも素晴らしい。どんな壮大な漫画でも全五冊で完結できる、そう「デビルマン」が教えてくれた。一気に拡げて鮮やかに閉じる。これもまた非常にSF的。
2011年12月15日
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